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バスは鹿児島市内に上陸しました。

これから、仙巌園(磯庭園)に向かいます。
仙巌園までは、約10分で到着します。

途中、鹿児島医療センターの横を通過しました。
ここは、私学校跡というところで、石塀で囲まれています。
この石塀には、西南戦争の時に、政府軍が攻撃した時の銃弾痕が今も残っていて、無数の穴を見ることができました。

しばらくすると、稲荷川という小さな川を通過しました。
約400年前にザビエルが鹿児島に上陸した場所は、この稲荷川の河口付近だったとされているそうです。

11:30 仙巌園(磯庭園)に到着しました。

この仙巌園は、万治元年(1658)、19代島津光久(島津家は、鎌倉時代から明治初年に至るまで700年間、南九州を統治してきた)がこの地に別邸を構えたのを始まりとしているそうです。

さて、千巌園の受付を通過すると、目の前に巨大な大砲が出迎えてくれます。
砲弾の重さから150ポンド(約70kg)砲と呼ばれているそうです。

砲身の口径は28センチで、全長4.56メートル、高さは3.5メートル、射程距離は3キロにもなるそうです。
鉄製150ポンド砲の奥には、この大砲を鋳造した反射炉跡がありました。現在は、基礎の部分だけが残っていますが、150年も前にこのような巨大な大砲を鋳造したとは驚きです。

お土産所の亀鶴荘を通過し、明治28年に作られたという正門を見学した後、錫門をくぐりました。


その名の通り、この門の屋根には、錫の瓦が使用されているそうです。島津藩の財源を担うほど多量の錫が発掘されていたようです。以前は、この錫門が千巌園の入り口とされていたそうです。

続いては、磯御殿。この御殿は、29代島津忠義の時代には本邸として使用されていたそうです。
現在では、明治17年(1884)の改築された部屋を中心に、当時の約3分の1が残されています。
とても奥ゆかしさを感じる建物でした。
また、御殿の前の「ピサの斜塔のように斜めにそびえている松」は、「ヤクタネゴヨウ」というそうです。
この御殿から庭園を眺めると目の前に桜島がそびえ、桜島を築山に、錦江湾を池にみたてた「借景庭園」として雄大な景観を見ることができました。

少し進むと、望嶽楼という建物がありました。

その昔、琉球王朝から贈られたというもので、床瓦が273枚敷き詰められており、藩主が琉球使者と面接する際に使用したと言われる異国情緒ただようものでした。

上を見上げると、巨大な岩石に「千尋巌」という文字を見ることができます。
11mにも渡って文字が刻み込まれているそうです。
この大文字は、27代島津斉興(なりおき)が1814年に完成させたものです。

このように、岩に文字を刻む作庭方法は日本庭園では大変珍しく、中国文化の影響と思われるそうです。

園内の見学はここまでで、園内にある「レストラン松風軒」へ向かいました。
席に着くと「両棒(じゃんぼ)もち」と言われる、お餅のお菓子のサービス券が置いてありました。
食事が終ったらもらいにいかねば・・・

食事はボリュームがあっておいしかったです。
お刺身は、鹿児島名物の「きびなご」のお刺身でした。

食後は、早速ぢゃんぼ屋に寄って「両棒(じゃんぼ)もち」をもらいました。
つきたてのお餅を小さく丸めたものに甘いタレをかけて竹串を2本差したものなんですが、昔、武士が大小の刀を腰に差すことを「両棒(じゃんぼ)差し」と言っていたことから、この名前がついたといわれているそうです。

お土産所の亀鶴荘に寄りました。
ここでは名物のお土産が豊富にそろっているということで、お菓子やさつま揚げ、焼酎など、みんなたくさんお土産を買っていました。
まだまだ見るところはいっぱいあるんですが、あっという間に時間がたってしまいました。もう少し時間があってもよかったかも。

13:00 バスへ集合しました。


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