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プロを組んでみて |
昭和50年6月20日AM9:00…市民バンドが産声を上げた日です。
正確に言いますとそれはもう少し先でした。
その日は、産むべきか否かと御医者様、親戚、関係筋が集まって家族会議を開いた日です。
清くも正しく美しく、そして貧しい環境の中で育んできた情熱だけで産もうとしているのですから。
何せどこの馬の骨とも知れない男性が8人、そして生まれ落ちてからも実は私の子供かもしれませんと名乗り出る人も居てそれはもう大変でした。
複雑な家庭環境の中でそれでもこの子はヒネクレもせずマアマア思い通りに育って来ているようです。
逆境が理想を生み、理想が勇気と希望を与えてくれたのでしょうか。
生まれてきた問題児は「浜松市民吹奏楽団」と名付けました。
その子供も今や3才になろうとしています。
とても性格の良い子で器量良しで優しく近所の評判です…、
と家族の中では勝手に思い込んでいます。
61人の家族構成は色々な意味で真にバラエティーに富んでいて、このバンドの目的たらんとするのに貢献している重要な要素の1つと思われます。
今日はそんな仲間の「楽しいバンドコンサート」のプログラムです。
又演奏する側から言えば「合奏の愉み」ということになりますが、技術的にいって音楽は他の芸術より手がこんでいると言えます。
或いは科学的要素が多いと言えるかも知れません。
それは素人と玄人の区別がはっきりとついてくる事からも解かります。
そこで重要な事は、私達は「音楽家」という専門家ではなく、さりとてこれを趣味で弄ぶ、いわゆる”音楽通”でもありたくない訳で、つまり個人の趣味が密接に結び付くとその道のファンの専門的な会話は傍らで聞いていても、時として音楽談でない事は確かですから…。
だから1人の人間としてその音楽の中に浸る時、才能や技術や教養が音楽的にその程度かは問題ではないという姿勢です。
良くあいつは音楽は理解するものでなく、そこに在るもの又、創るものだと思うからです。
「田園交響曲を聴くよりも日の出を眺める方がずっと役に立つ」というのは一面を解せばこんなことでしょうか。
日の出に感動してもそれに拍手する人は恐らくないのですから。
日本は米国に次ぐ世界第2位のバンドの多い国という事になっていますが、管弦楽に比べて活躍の範囲も広く、編成面に於いても多様です。
そこで私達は今、吹奏楽団に課せられた重要な使命の一つとして老若男女揃っても楽しめる「楽しいバンドコンサート」を始めようとしています。
コンサートの着物はプログラムです。
演奏技術や演出はその着こなしでしょうか。
人の着物の選び方はその人の趣味と合まってその人の中身、一貫した人間性も押計れようというものです。
私達のやっている吹奏楽もカッコ良さだけを求めた既成品では今や何も成し得ません。
その存在価値すらも疑問です。
今日の機会を捉えて私達は市民吹奏楽団だけのバンドの響きを奏でようと思います。
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| 第1回定期演奏会実行委員会 (昭和53.6.4第1回定期演奏会プログラムより) |
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